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ももやまだいのいろいろブログ

京阪神のさまざまなところに出没する人のブログです

さよなら5000形

1980年に東山線初の冷房車として投入された5000形。23編成が増備され東山線を支え続けてきました。
2004年に車両運用数が減り5101,5102Hが引退、2007年からN1000形の導入が開始され置き換えが開始。2010年までは1年あたり1編成とゆっくりしたスピードでしたが2012年に入って東山線のホームドア設置とATO運転化が決定。老朽化が進んだ5000形にホームドア対応の機器などが搭載できず全車引退することが決定。5000形はATO対応したN1000形に順次置き換えられ姿を消すことになりました。
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5118Hは2013年に引退
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初期番の5109Hもしぶとく生き残っていましたが2月に姿を消しました。
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5000形は徐々に姿を消していき5000形同士の車両交換などの光景も見る頻度が少なくなっていきました。5113Hも2014年に引退しています。
3月に唯一の平成製造であった5123H、4月にN1000形最終増備編成のN1121Hが導入され5120Hが引退。この地点で5000形で運用に出ていたのはN1000形初期編成のATO化改造による不足分を補う目的で残っていた5114Hのみでした。この頃になると残り1編成ということもあってか平日のみの運用が多くなっていきました。
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6月、5114Hに付いていた広告ステッカーがすべて撤去されいよいよ引退が近づいていることを象徴する動きが発生しました。
そして7月7日に、8月30日をもっての引退が発表され7月15日よりさよならHMが掲出されました。
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この頃になると休日にも積極的に運用を入るようになり最後の力走を見せていました。
そして8月28日の47記号をもって営業運転を終了。翌々日の30日に高畑→藤が丘間のノンストップのさよなら運転が実施されました。
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さよなら運転ではドア部にステッカーが貼り付けられた状態で運転されました。終点の藤が丘駅では200人近いファンに見送られ最後の運転を終えました・・・
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工場入庫後の5114H。この横では、八田駅に設置するホームドアの詰め込みを行っているN1000形がいました。この後しばらくピットの前に留置され、既に引退した5000形が留め置きされているスペースに移動されたようです・・・。
この2日後、東山線のダイヤ改正が実施され、残った5050形、N1000形によるATO運転が開始されました。

私が名古屋市営地下鉄に興味をもったきっかけがこの過渡期の東山線でした。はじめて訪れた時は既に5000形の半数が姿を消していましたが、それでもちょっと待てば来るという本数は在籍していました。その5000形がもう営業線に出てくることがないということを考えると寂しいものです。
東山線の5000形は全車引退してしまいましたが、2012年冬から2013年夏までに東山線から引退した5編成の5000形はアルゼンチンのブエノスアイレス地下鉄に譲渡され第二の人生を送っています。遠い地で引き続き活躍する5000形には末永い活躍を祈りたいものです。
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何気ない貴重形態

今日は名古屋市営東山線の話題でも・・・
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2月18日にN1000形の新車、N1119Hがデビューし5109Hが引退。5000形も残り3編成となりました。しかしその3編成よりもさらに数を減らしているのが5050形ATC車。5000形の置き換え以上に早いスピードでATO化が進み、残るATC車は5157H、1本を残すのみとなりました。
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東山線のATO化は東山線のホームドア設置に伴い実施されており5050形全編成、N1000形初期車が改造の対象になっています(N1105H以降は製造時より対応)
外観ではATO車には貫通扉の左側に黒いボックスみたいなものが付いている事と乗務員室の仕切り壁の窓が無くなっていることが最大の区別点です。
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このほか、5050形の改造では制御装置のベクトル化制御化も図られているため非ベクトル制御車もこの1編成だけとなっています(名城線の2000形では非ベクトル車がそれなりにいますが)

現在もN1101Hが改造に入っているのか(目撃がない)運用を続けているようで、いつまでこのままで走るのかが気になるところです。